おはようございます。
愛しい今ですね。
今日も綴っていきましょ〜ね〜
✴︎誰かとの会話中
心の中で「小さな否定」が起こっていないか
気づいているといい。
そして、ニュートラルにしておくといい。
✴︎例えば、おしゃべりな人がいて
自分が無口でいたかったとする
この場合、無口で
言葉数が少なくいるのもいいし
自分も相手に合わせておしゃべりになる。
もどちらもいいのだけれど
心の中で「ああ、この人おしゃべりだなあ、言葉多いなあ」
と何かしらの小さな否定のバイブスを持ちながら
そうしているのと
その否定に気づき、相手をあるがままにしておくのとでは
自分の幸福度が全く違うことがわかるだろう。
✴︎心の中をクリアにしておくこと。
✴︎いつも光がしっかり通るように
"氣づき"の窓をいつも拭いておく
That's meditation.
✴︎心の中の小さな否定を持っておくこと
それは目の前の現実ではなく
自分の内面的な思いの世界に留まっている状態だ。
✴︎自分の内面的な思いがありながら
それに無意識で
外向的になることもまた
後の疲れを感じるだろう。
✴︎故に、内向的にも、外向的にもならず。
内(思考)
外(周りの人や状況)
も両方、外であり、自分の内である。
という認識。
✴︎例えば、スピーディーに仕事をしている中で
人に何か指示されると、
反射的に、心の中での否定が起こり、
同時に、「はい」と返事している。
そんな経験はないだろうか?
油断なく在る。というのは
その一瞬の心の中の微細な否定に気づきながら
それをニュートラルにしておきつつ
肉体の外の存在に応答する。
とういことを瞬時に行っている状態だ。
✴︎こうするとどこにいても「空」でいられる
無我であることは
本当のわたしであることでもある。
✴︎一見それは高度な技術なように観えるが
自然界からすると、むしろそちらの人間の方が自然で
心の中で否定を持ちながら、外側に「イエス」と言っている方が
複雑な出力であり、負荷が大きい。
✴︎目の前に人がいて、溌剌と関わりながらも
自らの内面にも気づいている
しかも、内面に気づいていることを
外側の人に気づかれていない。
これが笑っちゃうくらい面白く、素晴らしい在り方である。
✴︎外も内もないのだから
どちらにも気づいていて、「気づき」でしょう(^-^)v
✴︎こうすると波動が自然(愛)で維持できるので
気分が安定してきて
外と内が等しく差が取れてくる。
✴︎外のこともふんわり気づいて気にし過ぎず
内のこともふんわり気づいて気にし過ぎない
"本当"は、何も気にしていないのだから。
✴︎気づく、というのは気づいたものを消す
ということではなく、ただただ、気づいている。
というとてもニュートラルなもの
✴︎ただ、その差は不思議と大きい。
✴︎気づきの前には立っていられないものがあり
気づきの前でより力を増すものがある
✴︎気づきは、光だ。
✴︎気づきがないことが、闇だ。
✴︎気づきを持って、この世界を生きることが
"生きる"ということである。
✴︎さあ、今日も素晴らしい1日を
過ごしていきましょう✨
p.s
母はよく、お店の名前や
品物の名前を間違えます。
しかも間違え方が絶妙なんですよ。笑
どういうことかといいますと、
例えば
以前、「コドコドさん」っていうゲストハウスで
イベントをさせてもらったんですけど
コドコドさんのことを
「ドコドコさん」
って呼んだり。笑
まあ確かに、「ドコドコ?どこにあるの?」
って思うような場所にあるんですけどね。笑
絶妙でしょ?笑
人って面白いですよね〜〜^^
っていうことで、今日も素敵な1日を🎶
ありがとうございます!!
さくら🌸🌸🌸、素敵ですねヽ(´▽`)/
わたしの母も一緒で、ビックカメラのことをビックリカメラと言ったり、先日もスヌード(マフラー)をヌードルというので、それは麺だよと教えてあげました😊
忘れてしまったけれど、そういうのたくさんあるなぁ‥