内側の宝を見つける
- ヒカリ
- 2024年1月21日
- 読了時間: 2分

↑なんでもない、雨あがりの午後。
どんな映画も、どんなアニメも、どんなドラマも、どんな物語も
あなたの人生(今この瞬間)ほどに素晴らしいものはない
人生(今この瞬間)ほどに生きるべきものはない
それはマインドにとって 素朴で単純でシンプルな瞬間かもしれない
けれど、その内側には輝きが溢れるチャンスを待っている。
もしそこに素晴らしさを見出せないのなら
人生のどこを探そうとも
どんな素晴らしい物語に触れようとも
素晴らしさを見出すことはできない。
真にスピリチュアルな人は
平凡な日々を、非凡な感性で生きている。
彼ら彼女らは、その日々を「平凡」とは観ていなくて
それはユーモアと感謝と至福に満ちた
生き生きとした流れそのものなんだ。
そして非凡な現実を
ある意味、家での日常と同じように楽しんでいる。
これはお金の力を盲信する人も
平凡さに退屈し嘆く人も
マインドの洗脳の中にいる人たちは
なかなか理解できないだろう。
彼らは外側に豊かさがあると深く信じ込んでいる
内なる宝には依然として出会ったことがない。
なぜなら、外側の結果が思い通りにならないとき
彼らにはもう何もなくなってしまうからだ。
彼女らは自らが空虚であることにどこか気づいている。
故に人生のいたるところで、惨めさを感じずにはいられない。
彼女らは神にお金を、名誉を、自らの成果を願う。
彼らは神を自らの成功のための手段にする。
神よりも、成功の方が重要だ。
神よりも、もっとお金を得ることが重要だ。
神よりも、この世界でいかに生きていき、自分が得するかの方が重要だ。
彼らは直接、神を体験しない。
彼女らは直接、神を求めていない。
神によって得られる、他の何かを求めている。
内なる宝に出会った人は
いかなる惨めさも存在しない
生物として最強でも最弱でも
金持ちでも、貧乏でも
人から羨まれる何かを一つも持っていなくても
何を持っていても、持っていなくても
彼女らはそういうことで惨めになることができない。
どんなプライドも彼らは持ち合わせていない。
彼らの本質には誰も触れることができない。
彼のマインドですら、その本質には触れられないのだから。
それが内なる宝との出逢いで起こること。
そういう人は神と共に在り
真理と共に在る。
そういう人は、神を直接体験している。
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