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敵を作らない




少しずつ少しず〜つ開く花



ある日突然パッと開く花




どんな花を咲かせよう





咲くと、咲きつつあると



信じていることが





一瞬一瞬を生きる





糧になる








僕には、学生の頃、よく心の中で敵をつくってしまう癖があった。






世界に一人は、敵がいるんです。






この人が味方、かと思ったら今度はこの人が敵。



その頃



誰も敵にしないという



アイデアはなかったように思います。





というより、誰かを敵にしておくことで




その人からの優位性や、逆に劣等感を




感じてエゴが栄養をとっていたのでしょう。







そんな癖が時折ありました。



僕はいつから戦うことに慣れてしまったのか。





それはわからない。






でも夜な夜な何かに怯えて日がありました。



今思えば、それは心に敵を作り出すことで



恐怖を潜在的に大きくしていたのです。








敵をつくらなければ



恐怖は全て溶け去る













誰も悪くない。








ある日、海を見つめながら



そう話す方に出逢いました。










そのときに感じた安堵は、




劣等感でも、優位性でもない








本当の安心でした。










誰も敵にしない









これはエゴにとっては死を意味します。








大部分をそれによって生きているから。









何かを人に話すとき


何かを良いというために




できる限り、何かを「悪い」とは言わないようにできたらなと思っています。







どんな経験も、必要で起きるのだから





何一つ無駄じゃないし、悪くはない







何かを悪い


と言ったら、それを自分はできなくなってしまう。



それはしたいこと、したくないことに限らず





自分を窮屈にさせてしまう感じがするから。









自由であるために






改めて、柔らかく在りたいなと






思う所存であります(^-^)








あなたはどう思う?










では

素晴らしくても


素晴らしくなくても



どちらでも素晴らしい一日を〜😌






2件のコメント

2 comentários


sabigarahachi
16 de out. de 2023

誰かが私のことを悪く言ったとしても、誰も悪くない。そうゆう流れがあったんだと真に理解が起これば、この先は激流にはならず緩流で寛げます😊

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hikarinouta369
16 de out. de 2023
Respondendo a

素晴らしいですね。

まさに世界とは多次元的です。

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© Hikari.

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