🌾2020年に3月に綴った、記事をこちらにも再度upしておきます。
2018年、東京の靖国神社に
ふと、母と二人で参拝に行ったことがあった。
と言うのも
静岡に住んでいた頃、「小室山」という山に、
小さな石碑があって。
そこに、「今、わたしたちがこうして暮らせているのは命を懸けて戦った
人たちがいたからです。」
と書かれていたのだ。
その時のことが、僕たちの深い意識にそれが残っていたのだろう。
それからしばらくして
母と暮らし始めてから、それを思い出し。東京に行くことになった。
静岡の三島という駅から、電車でゆったり揺られて。
そのころはマスクをしている人なんてほとんどいなかった
東京は独特の香りがあって、沢山の人が「どこか」を目指して
スマホという画面越しの世界を7割くらい見ながら、
耳にイヤホンをして歩いている。
「すごい人だねえ〜〜。」
と母が言う。
これだけの知らない人で溢れている中
隣を歩く母親の存在というのは、とても大きなものだと実感した。
というのも、その前の年は仕事の関係でよく、1人で東京を歩いていたから。
そんなことを感じながら、入り組んだ地下鉄を抜けて
九段下駅を降り、靖国神社へ向かった。
「東京は何度も1人で歩いてるから、電車ももう慣れたんだ〜〜〜」
と母に言った。
それくらいしか、自慢できることはなかった。
この頃の僕はまだ、生きる喜びを忘れていたから。
思えば、その頃
自分の中の戦いを抜け出したいと本当の僕が叫んでいたように思う。
歩いていると、大都会の中に、
ポツンと日本の古き良き風景が観えてきて
そこには靖国神社があった。
その日は人もたくさんいて、特に外国人の方が多く来ていたように思う。
僕は靖国神社がどういう場所かあまり知らずに来たので
その中をゆっくり、大切に探索した。
その日は暖かい春の日で
和の美しい音楽が流れ、桜の花びらが風と共に舞っていた。
なんとも言えない美しさで
そのとき東京の、"季節に参加した"のが、初めてだったことに気がづいた。
いつもその人混みの中で、"頭の中の何か"を求めてしか
東京を歩いたことがなかったのだ。
青い空を見上げ、春の風を感じ
そこには鳥も飛んでいた。
「ここにも生きている何かがあるんだなあ。」
そう感じ、胸が暖かくなった。
母もゆっくり歩きながら、同じことを感じていたように思う。
靖国神社の館内には、アメリカ軍との戦争の模様をリアルに伝えてある資料や模型があった。
じっくり感じながら、それらを眺めた。
そこには神風特攻隊のことが深く記されていた。
戦時中、命を懸けて、
その当時の僕は21歳だったから、ちょうど同じくらいか
それより下の青年たちが
自分の母親や小さい妹、弟を必死で守るために。
見て見ぬ振りをすれば、彼女らも皆連れてかれる。殺されるかもしれない。
それもできたかもしれない。
けれど、自分が守りたい。この命を懸けて。
やれることは全て、やってみたい!!
決死の覚悟で、アメリカ軍の大きな軍艦に
小さな戦闘機で立ち向かったという。
その気迫に心動かされた米兵たちが多くいるという。
僕は、何も知らなかったのだ。
顔を見上げるとアメリカ人の方が真剣な眼差しで
館内を歩き、感じ、写真を大事に撮っている姿も印象的だった。
ふと観れば、母も大号泣していた。
僕はそれまで、とても空虚な人生を過ごしていたと感じた。
名誉でも、野心でも、なんでもない。
ただ、1人の青年たちが
ただ、1人の若者たちが。
自分自身の覚悟で、
大切な人のために。愛のために
覚悟を持って生きていたことを思ったら
僕はこんなに大切にしてもらっているのに
お母さんがいると自由じゃない
とか。
もっと若者なんだから楽しいことしたい
とか。
もっとこういうことしたい、あれしたい
そんなの全然ないのに!笑
本当にやりたいことはやってきたのに!
そんな気持ちや考えが僕を支配して来ることがあった。
でもそれは自分にとっての本心ではないことはわかっていた。
それは、社会や、生きた環境が僕に与えた、仮面であり、弱さだった。
僕はその時もう、癒されていたのに。
母がこんな不安定な僕を信頼してくれたことや
本当に素敵な仲間にも出逢えたことで。
でも、やっぱり欲をかく弱さがあって。
不思議と、
そういう思考に囚われているとき、
なぜか僕はこの活動ができなかったのだ。
そこは表面的で、惨めで、暗い世界だった。
こういうことを打ち明けるのは恥ずかしいけれど
もしかしたら役に立つかもしれないから残しておきます。
そんなこんなでずっと戦わなくていいことで戦って来たように思う。聖戦。
愚かしくも、それも素晴らしいことだったのだ。
いつも雲がかかって、観えなくなって来たけれど
この靖国神社でのことは、時を超えて
今、僕に大きな力を与えてくれた。
僕はずっと本心で生きていたって思い出せた。
そしてそれと共に、
これは道徳心でも型でもなくて
一緒に生きていきたい。っていう気持ちや
自分を大切にしてくれた人への感謝が
この肉体を持って、生き生きと、生きる力になるんだって。
これは幸せに生きるベースだった。
そこから、そこから広がっていくんだと
そこから人は、本当に悟っていくんだと
それが、中道だと思う。
僕は生まれる前、天使だった。
自分で天使だったとかいうのも、あれかな。^^
地球をのぞいていると、母が、ぼくがいる天使界に繋がって
助けて!と言っているのがわかった。
そのとき、母は
1人ではどうすることもできない状況にいたのだ。
僕は地球を訪れることを決心した。
地球には会いたい人たちもいた。
ちょうどここでやりたいこともあった。
そして、これはまだはっきりと思い出せないんだけれど
すごく深くに、志を据えてきたように感じている。
誰がなんと言おうと、愛は勇気だと思う。
勇気のない愛は、愛ではない。
愛のない勇気も、勇気ではない。
母は僕が生まれる半年前に、天を見上げて
「天使のように生きてみたい」
と思ったそうだ。
天使のように。この地球で。
それは本心を生きることだ。
本心を生きる生は、危険だ。
僕は危険を愛することができるだろうか。
生に、死はつきものだ。
誰だって、明日死ぬかもしれない。
だから、「本心」を生きたい。
それはただ、ポジティブに〜〜♪とか
自分の波動だけあげていきましょう〜。
とかそういうことではない気がする。
それは罠だ。
本当に、魂を生きること。
今、目の前にあること、外と内の両方で
自分が感じている違和感
本当に向き合わなければいけないこと
それらを一つ一つ、ちゃんとクリアにしていくこと。
半目じゃなくて、両目を開けて、地に足をつけて、悟りを深めること。
そのときには勇気も必要だろう。
甘い言葉、いっときは楽しそうな方、安全な方に行きたくなるだろう。
けど、本心はいつまでたっても、本心だから。
それは死んでも変わらない。
どれだけ誤魔化し続けても。変わらない。
それを生きなければ、逃げても逃げても人は幸せを感じられない。
どれだけ上り詰めても。何をしても。
一見、安全に暮らせていても。
それと、幸せは、何の関係もないからだ。
本当に、心から、魂から溢れる笑顔はそこにはないのだ。
だからこそ、本心を生きて
心の底から笑い合える友達が増えたら嬉しいな^^
きっとこのブログを読んでいる人たちは、そういう方たちなのだろうと
感じています。
そろそろ、この辺りで終わろうかなと。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
そうそう、神風特攻隊のこと、この動画がとても伝わってきますよ。
素晴らしいですね。
僕は、日本の自然が大好きです。
日本っていう国がどうとか、好きとか嫌いとかはよくわからないけれど
日本に生まれて、日本で育ったことは確かで。
国とか宗教とか超えて
同じこの地で、そんな風に
命掛けて、覚悟を持って生きていた若者がいたって知ったら
それはやっぱり
素直に胸が熱いし、愛しいし、
感謝しかありません。
彼らは安全ではなかったとしても、
恐れや不安が襲ってきてもそれなんかと比じゃないほどに愛する喜び、
真に生きる喜びを感じていたんだろうなあって
思います。
人間って素晴らしいですね。
↑さっき姉が創造したやつ。
ひふみ祝詞日本に古くから伝わる、祝詞です。
右から縦に、三回、心を込めて、唱えてみてください。
心が整って、本心が観えてきます。
心平静に、愛を生きることが
何より大切だなあと。
歌い、踊り、笑い、
愛し、瞑想する。
こういった人に、神は入ってくる。
神に自分がたどり着くのではない。
神があなたに入ってくる。
その鍵が、「本心」を生きることだ。
あ、本心が、ブッダの言った「中庸」なんでしょうね。
以上、ヒカリの徒然でした。
秋の風がほんのり香る、沖縄より。
愛を込めて。
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