エネルギーの方向性
- ヒカリ
- 3月24日
- 読了時間: 2分

煩悩はいくら
深淵な教えを聴いても説いても
実際のところ、氣が上がっていなければ
粗雑な欲求として何度でも下に持っていこうとする。
なぜだか、心は粗雑な刺激を求め、それなしではいられないような氣にさせる。
それは不平かもしれない
それは怒りかもしれない。
それは性欲かもしれない
それは寂しさかもしれない
それは恋人を求める心かもしれない
それは物欲かもしれない
それは食欲かもしれない
それらはあくまでも一つの
『エネルギーの使い方』にすぎない。
善い悪いはないが、エネルギーには、使い方によって
働く方向性がある。
上記のものたちはエネルギーを下に向かわせる。
そしてそれらは習性、癖となってコンピュータのように何度も何度も同じエネルギーの使い方を提案してくる。
これはまさにコンピュータだ。
しかし我が法友よ。
思い出してごらん。
我々にはこんなエネルギーの使い方もあるだろう。
それは瞑想かもしれない。
それは善行かもしれない。
それは呼吸法かもしれない。
それは創造性かもしれない。
それはなにか閃いていた素敵なアイデアの実行かもしれない。
さぁ、そのエネルギーをそれらで使ってごらん。
きっと、あなたはそれを氣に入るだろう。
不思議だ、そのエネルギーは上方向に移動し
歓喜となって落ちてくる。
だから我々はまた
そのエネルギーの使い方をしたくなる。
このプロセスの繰り返しによって
魂の輝きが増していく。
友よ、このことを何度も何度も
よくよく思い出して
毎日を大切に生きてごらん。
わたしたちはそこで初めて
「修行の素晴らしさ」「人生の意味」を
優美に理解することだろう。
わたしも日々、大切にしていくよ。
📷 :izumo ooyashiro
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