慈湧 vol.3

おはようございます〜

人々は愛することを少し頑張っている気がする

愛されるために、愛したり

相手が自分を好きになってくれるように、愛したりする。

愛することに、理想通りの反応や思い通りの出来事という見返りを求めている。

愛することがまるで、外面をよくすることかのように振る舞っている

それは、僕にとっての愛とは少し違うと

数年前、気づき始めた。

それは双方、賞味期限のある愛だ。

もちろん、それはそれで美しいとは思う。

だけど、僕は愛するより、愛で在りたい

と思っている。

行動や、リアクションが愛ではない

それももちろん愛の表現だが

変わりゆく愛に相手を翻弄することも

自分を偽ることもできない

変わりゆく愛で相手を喜ばせ

相手を悲しませることも

相手を期待させることも

相手の期待を落とすことも

僕はしない。というかそこに興味がない。

僕は、愛(I)で在る

誰かにとって

僕はそっけなくうつるかもしれない

静かに映るかもしれない

愛情深く映るかもしれない

それらはどれも変わりゆく

けれど僕はそれを演じない。

僕は変わらない、愛の存在で在る

誰も傷つけも、裏切りも、見捨てもしない

あなたが望むまで、いつまでも共に在る

僕はあなたの愛に応えることができないかもしれない

あなたの期待に応えられないかもしれない

あなたは何度も落胆するかもしれない。

あなたはどうしたものかと、困惑するかもしれない。

僕は人の愛に応えることができない

応える術を、持っていないんだ。

あなたはそんな僕を思い通りにならないと憎むかもしれない。

けれど、よく観てごらん?

僕は、どこにも行っていない

あなたを置いていくこともない。

むしろあなたが僕から離れたり、近づいたりできると、思い込んでいる。

それは幻想だ。

僕はどこにも行かない。

僕は全ての全てとなって、共に在る。

僕は誰のものにも、誰かの小さな愛の所有物にもなることも望んでいない。

僕は愛そのもので在ることによって

常に、普遍に

安らぎの土台を共有する

信頼の土台を共有する

あなたが望むなら

その愛まで一緒に、還っていく用意ができている。

帰ろうよ?

愛するより、愛で在る。

僕は、存在する。

ただただ、ここに存在している。

あぁ、なんて自由なのだろう。

全ての人の中にある

本当の愛。

ワンネスの愛

その理解だけが

僕にとって、友情の鍵だ。

互いが、"愛し合う"より

互いが

"ただ、愛で在る".ことによって

真に、愛が双方に循環し始める。

一緒に行こう。

愛の高みへ。

本当の愛へ。

この愛に

全人類が還ってくる必要がある。

さぁ、還っておいで。

永遠=愛へ。

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